大妖怪時代
ヤマハ音楽教室の大人のピアノレッスンっていやらし過ぎませんか?
違いますかそうですか。ベレー帽です。こんばんわ。
近頃のテレビでは都市伝説は聞くものの妖怪となると番組をやってくれません。
では現代に妖怪はもう居ないのかと言うとそうでもないようで、妖怪についてグーグルで調べると言う最先端だかなんだか分からないような事をしますと。
例えば
247 :可愛い奥様:2011/03/27(日) 17:12:18.12 id:ggFmN1yBO
実家は昔から座敷童子がいるって言われてて、私も小さい頃によく見た
五月人形の恰好して歩いてたり水遊びしてたり憎めない感じの子だった
こないだ帰省したとき、夜遅くに水を飲もうと台所に行くと、リビングでパソコンがカチャカチャ音を立ててる
誰だろうと思ってよく見ると、あの子がパソコンをいじってた
パソコン使えるようになったんだ、成長したな〜と思うと、何だか感慨深かった
こんなのがあったり、以前に紹介した飛頭蛮の話や天狗の話、はたまた下のような一旦木綿の目撃例など
今までずっとROMってたんですが、自分の体験談を投下してみます。
携帯からなんで読みにくかったらごめんなさい(´・ω・`)
私が小学生の頃の話です。
よく晴れた日、休み時間に校庭の遊具で遊んでいたら、周りの子が
「なにあれ?」と言って校舎の方の空を指差しました。
思わずその子が見上げてある方に目をやると、
トイレットペーパーのような白くて長い物体がくねりながら下降していたんです。
その場にいた子達は「龍だ!」とか言っていました
その物体はしばらくするとどこかへ落ちて見えなくなりました。
今思ってもあれはただ長い布が落ちていくような動きはしていなかったし、
何か生き物のように見えました。
一反木綿だったのかな?でも鬼太郎に出てくるような一反木綿じゃなくて、すごく長かった。
校舎の屋上から誰かがイタズラでトイレットペーパーを投げたのかな?とも考えたけど、
屋上よりはるかに高いところにその物体があったので、それはないと思います。
あれは一体何だったのだろう(´・ω・`)?
長文失礼しますた。
べとべとさん
私も雪国。北東北在住。
小学生の頃、学校の帰り道に『誰か』がついてきたことがある。
友達と一緒にあまり人の多くない田舎道を歩いていた時、
不意に友達が「誰か後ろ歩いてない?」という。
冬の夕方は日の落ちるのが早くてあたりは薄暗くなりかけていたけれど、
人のいるいないが分からないほどじゃなかった。
誰もいなかった。
気のせいだよーと言いながらまた歩き出すと、確かに足音がする。
溶けかけた雪でぐじゃぐじゃになった所を歩く、ばしゃっばしゃっという足音。
止まると、止まる。歩くと、聞こえる。
オバケ方面知ったかぶりだった自分は
「べとべとさんっていう妖怪が後を付いてきたら、
『べとべとさん先へお越し』っていうんだってー」と言った。
足音はそれきり聞こえなくなった。
別に追い抜かれたわけでもなかったが。
やまけらし様
ある日、学校の体育館で友達とバスケをしていて遅くなった俺は、早く帰ろうと自転車で山越えをしようとしていた。
街中に入る道と山道に入る道の分岐点にあるコンビニで飲み物を買って、いざ山越えに。
日が沈み始めた山道は結構不気味で、ひぐらしの鳴く声を聞くと心細くなってやけに不安になる。
戻って街中を通ろうかな…なんて思いつつガッシャンガッシャン自転車をこいでると急に
「も゛っも゛っも゛っ」
ていう表現しにいうめき声のようなものが聞こえ、その瞬間に何かが背中にドスッと落ちてきた。
上半身をグッと下に押し付けられるような感覚に襲われ、冷や汗とも脂汗とも言えない妙な汗が体中から噴き出してきた。
怖くて振り向けずにとりあえず峠を越えようとがむしゃらにこぎ続けてた。その間にも背中から
「も゛っむ゛む゛っ」
と変な声が聞こえている。
絶対変な物を背負ってしまった、どうしよう・・・と涙目になって自転車こいでたら上り坂の終わり、峠の中腹の開けた場所に出た。
息を切らしながら足をついて崖側の方に目を向けると、小さな女の子が居た。
こうしてみると結構いまだに妖怪が居るんじゃないかと思えませんか?
それとは別に本来なら妖怪カテゴリーに入れられても良かったはずの物も、やりすぎコージーの影響か都市伝説に入れられてしまったのもいれればまだまだ世の中捨てたもんじゃないなと。
そっちには、くねくね、てけてけ、コトリバコ、口裂け女、人面犬、時空のおっさん、リモコン隠し、まあ順調に増えていってますわな。安心安心。
で、私のほうは今回は妖怪の聖遺物を追い求める旅に出発したのでした。
まず必要な物は
カッパ捕獲許可証です。遠野から取り寄せました。有効期限は一年。200円。遠野のカッパ淵まで行けば顔写真入りのもっと良い物が買えます。
そしてまずは合羽橋の河童寺こと曹源寺へ
何気にモヤモヤさまぁ〜ずでも訪れていますが、ここには河童の手のミイラが現存しています。事前に連絡をしていかないと私のように中に入れずミイラの手も拝めないと言う目に合うのでご用心。天井には昭和の漫画家などのカッバ絵が描かれています。
「かっぱ寺」の伝承
伝承によると文化年間(1804〜17)に、当地の住人で雨合羽商の合羽川太郎(合羽屋喜八)という人物がいた。
この付近は水はけの悪い低地でアメが降ると洪水となり、人々は困窮していた。
そのため川太郎は私財を投じて排水のための掘割工事にとりかかった。
このとき、かつて川太郎に助けられた隅田川の河童が工事を手伝い、掘割工事が完成した。この合羽を目撃すると商売繁盛したという。
この伝承が「かっぱ寺」という通称の由来であり、「合羽橋」(合羽橋交差点の付近にあった)という橋の名もまた、この伝承に由来するともいわれる。
こちらは佐賀県の松浦一酒造さんの御神体の河伯のミイラです。
流石に遠すぎて行けないので、お酒を一本注文し、それにキュウリ一本分の料金を足してお供えしてもらいました。
フクロウの骨に似ていると言う説もあります。
高尾山
は勿論天狗で有名ですがここには蛸杉と呼ばれる天狗伝承の木が実在します。
伝説によると
もう今となっては昔のこと、そう高尾山が開山されたころは、今と違って薬王院への山道もまだ険しく、特に足腰の弱い人々や年寄りにはたいそう難儀な山だったのです。そこである夜のこと高尾のお山に住む天狗達が集まり、相談の結果、道普請(道路工事)をやろうということになりました。道普請とはいっても、それはそれ天狗様のことですから神通力で参道を見る見るうちに作っていったのです。
しかし、もうすぐ薬王院というところにきて、その道つくりは、はたととまってしまったのです。それは一本杉と呼ばれる大きな杉が、四方に根を広げて、道のど真ん中にどかっと居座っていたからです。さあて、これにはさすがに天狗達は困り、相談したあげく「我らの神通力とてこれは無理。それにしても今日はもう日が暮れる。明日は、あの杉を切り倒して進むことにしようではないか」と結論が出ました。
天狗様達のこの相談話を聞いた一本杉はさあ大変、せっかくこんなに大きくなって高尾の山でおおいばりでいるのに、こんなことで切り倒されてはかなわない。すると、あれよあれよ、一夜のうちに身をすぼめ、道のじゃまにならぬようにとどっこいしょとその大きな根をどかしたそうです。その動く姿がなんともたこのようだったとか。おかげで参道は、邪魔もなく見事に完成したそうです。
それ以来このたこ杉は「道を開く」ということから開運のご利益があるといわれています。
次は相模原市寸沢嵐の正覚寺にある狸和尚の化け首。
(かながわのむかしばなし50選。相模湖のほか鎌倉でも伝承。)宝暦年間、鎌倉建長寺の山門は地震で崩壊し、仮山門であった。これを本格的に再建するため、時の建長寺二百一世万拙和尚が、山門の柱12本を出してもらう為、津久井に勧進に来た。おおかた山門柱の寄進の目鼻がついたので正覚寺に宿泊、一泊の御礼に書を残し、次の朝鎌倉へ帰っていった。これを聞いた建長寺裏山に住む古狸は日頃の恩に報いる為、正覚寺から後を和尚に化けて勧進することにした。次の宿は小原宿の本陣だが、到着早々「犬は繋いでおけ。夕食での女中の給仕はいらぬ」とか不思議な言動ばかり、また朝和尚の寝ていた布団を上げようとすると獣の毛が付着していた。次の投宿先、小川の法林寺(現あきる野市)から寺男が迎えに来たので昨晩の一部始終を話してお見送りした。法林寺につくと和尚は小原の本陣と同じ行動で「犬は繋いでおけ。夕食での女中の給仕はいらぬ」という。そこで女中は障子に穴を開けのぞいて見ると箸もつかわず口で御飯をまき散らし食べている。また風呂に入り湯加減を問うと「いいあんばいじゃ」と言うので板の節穴からのぞくと尻尾を湯につけぽちゃぽちゃとかき混ぜていた。そこで夜和尚が便所に起きた時、寺男が犬をはなすと犬は飛びつき、和尚を噛み殺してしまった。そこへ寺男が斧で首をはね、相州の正覚寺からやってきた和尚なので、その正体を確かめる為、その首を箱に入れ籠で正覚寺へ運び開けてみると、その首は「石の化首」と成っていた。この化首(人面石)は今も正覚寺にある。
座ったまま持上げる事が出来ると病気も治り、良い事があるとのこと。御参拝下さい。
そう遠い場所でもないので実際に行ったのですが、事前に連絡して見せて貰えました。ただ撮影はご遠慮くださいとの事でした。
でも画像は拾ってきました。
ちょっと窪みが人の顔に見えるかなぁ程度の石ですが、なにぶんこうして実在するのですからこれはもうそうだというしかないです。
この寺は丁度、柳田國男が内郷のフィールドワークのときに泊まったそうです。この辺りには川天狗の伝承と棚婆(たなばば)、狂骨、天狗、土用坊主、でいらぼっちが残っています。
相模原市鹿沼公園
なんてことない池なんですが、ここは
デイダラボッチ(この地方では、でいらぼっち)
富士山を持ち上げ違う場所に運ぶ途中、疲れたので、富士山に乗っかり休んだところそこにまた根が生えてしまいもちあげようとするが、持ち上がらずそのときふんばった所が今の鹿沼公園であるという。
一応上空から見ると足あとに見えなくも無い形をしています。
今回行ったところはここまでですが、まだまだ全国には聖遺物がいっぱいあって
東京の全生庵、栃木那須高原の殺生石、群馬の文福茶釜、これらはいつか行こうと思っているので観光のほうには追加しておきました。
追加しなかった場所にも肉付き面や鬼の面、牛鬼の角etc
その反面、失ってしまったものもあって有名な座敷童の居る宿で岩手の緑風荘は全焼してしまっています。まだあと2つ有名なところが残ってますけども。
ねねこ河童の手など処分してしまったなんてのもあります。
あとは科学鑑定で正体が分かってしまったものもありますねw
江戸時代に流行っていてシーボルトが持ち帰った人魚などもチンパン+魚でした。
そして今回、大量に妖怪について調べていたところバックベアードが水木先生の創作だった事を知り衝撃を受けています。
ナ ゝ ナ ゝ / 十_" ー;=‐ |! |!
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デザイン的にはコラージュ作品「新宿幻影キメラ」またはルドンの作品からという説が主流。